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漢字がつなぐ日本と韓国 -日本の中の韓国散歩 上野公園

■2016/10/01 漢字がつなぐ日本と韓国 -日本の中の韓国散歩 上野公園
 私たちに身近な漢字。
中国で生まれ、4世紀ごろ朝鮮半島を経て日本に渡ってきました。それ以前にみられる金印や銅鏡などの漢字は、記号、祈祷道具として認識していたそうです。
 
近年、日本では7世紀後半から9世紀にかけての木簡が、藤原京や平城京のほか各地から出土されています。韓国でも、かねてより研究が進んでいた5世紀から7世紀の石碑に加え、水中遺跡から木簡などの掘り起こしが始まりました。
 
これらにより、古代朝鮮において漢字を母語に用いる工夫がなされていたこと。朝鮮半島での試みを基に、日本では表音・表意文字として取り入れたことがわかってきました。
ハングルを学ぶ私たちが、日本語と韓国語が似ていると感じるのには、理由があったようです。
 
では、どのように漢字が渡ってきたのでしょうか。
 
『日本書記』には、応神天皇の招きにより百済より王仁(わに)博士が渡来し、太子が学問を習ったとあり、『古事記』では、王仁博士と同一とされる和邇吉師(わにきし)が、論語10巻と千字文1巻を百済から持ってきたとあります。
千字文とは、中国の梁時代につくられたもので、千文字を四字句に編んだ書物。20世紀初めまで、日本でも漢字の教科書や習字手本として用いられてきました。
 
史書らへの記述により、王仁博士が日本に漢字を伝えた人物といわれてきました。
 
《王仁博士の記念碑》
上野駅の不忍口を出て公園入口の階段をのぼり、西郷隆盛像と清水観音堂を抜けると「王仁博士」の碑があります。
台東区教育委員会の説明板は、日本語、英語、韓国語で書かれています。
韓国語を抜き出してみましょう。
 
왕인박사비
「古事記」등 사서에 의하면 왕인박사는 백제에서 건너와「논어」와 「천자문」을 일본에 전래한 학자로서 왕인박사비는 왕인박사헌 창회가 1940년과 1941년에 건립하였습니다.
 
日本語には、王仁博士のご子孫は「文筆をもって朝廷に仕えたといわれる」とあるのですが、王仁博士は、伝承上の人物だという話も。ちょっとミステリアス…

 
「読むことは人生を感じること、書くことは歴史を刻むことだ」と聞いたことがあります。
古き良き時代、私たちが互いによき人生を歩み、歴史を刻むことができるよう、豊かな文化を持った百済が「王仁博士を日本に遣した」と信じてみるのもいいかな。
 
現在、日本と韓国の研究機関が協力し、漢字文化について調査が進められています。
過去を紐解くのは研究者におまかせして、私たちは「ことば」で未来の関係をつくって行けたらうれしいです。




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