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半井桃水と春香伝 -樋口一葉記念館を訪ねて

■2018/04/19 半井桃水と春香伝 -樋口一葉記念館を訪ねて
台東区竜泉にある樋口一葉記念館を訪れた。
一葉の恋人といわれた半井桃水の面影を見つけたかったからだ。
桃水の名を知る人は多くはない。しかし、『春香伝』を日本に初めて紹介した人物と聞けば興味がわいてくる。
歌人である一葉に小説の手ほどきをしたのも彼だった。
 
半井桃水(なからいとうすい)は、1860(万延元)年対馬藩宗家の典医の家に生まれた。
釜山にあった倭館は対馬藩が管理をしており、1872(明治5)年、数え13歳になった桃水は父とともに釜山に渡る。2年間の滞在で朝鮮語の読み書きを覚え帰国した。
その後、上京し英語塾で学びながら、新聞記者として活躍をはじめる。
 
1882(明治15)年、再び釜山に赴いた彼は、東京朝日新聞の釜山特派員となった。
朝鮮語の知識を生かしたレポートは人々の興味を強く引き寄せ、東京朝日新聞の売り上げを伸ばすことに貢献したという。彼が滞在した5年間に壬午軍乱(1882)、甲申政変(1884)などが起こっていた。
 
しかし、彼が本当に伝えたかったのは、その土地で起こる事変や事件ではなかった。
「朝鮮土産」と題した連載では、「朝鮮にはインサと呼ばれる挨拶がある」と挨拶の交わし方やマナーを紹介。このほかにも地域の文化や風習を積極的に発信している。
 
さらに、パンソリとして人々に語り継がれてきた『春香伝』を翻訳することにした。
日本は当時、江戸時代から好まれていた中国文学に加え、欧米文学の翻訳も盛ん。明治10年代には、翻訳文学というジャンルが確立し読者の関心は高かった。
 
桃水は、『鶏林情話 春香伝』の新聞連載にあたり、次のような「序」を寄せている。
 
我國の朝鮮に関係あるや年已に久しいといへども未だ彼國の土風人情を詳細に描写して世人の観覧に供せしものあるを見ざりしは常に頗る遺憾とせし所なるが近日偶彼國の情話を記せし一小冊子を得たり亦以て其人情の一斑を知るに足るべくして今日彼國と通商貿易方に盛んならんとするの時に當り尤も必須なるものなれば譯して追號の紙上に載す。(明治15625日)※一部、現代の漢字を使用
 
(我が国は朝鮮と長く交流はしてきたけれど、相手の風俗や人情を描写してその人となりを知るものがなく残念に思っていた。先日、偶然にこの国の恋愛物語を一冊手に取ることができた。これにより人々の情を知ることができるだろう。彼の国と通商貿易を盛んにするにあたり、もっとも必須なものであるから、翻訳して掲載することにした。)
 
「其人情の一斑を知るに足るべく」なんと素敵な言葉なのだろうか。
通商貿易を盛んにするためだといいながら、その国の経済データではなく、人々に愛されてきた物語を紹介する桃水が好きになった。
 
1888(明治21)年、帰国した桃水は東京朝日新聞に小説記者として入社。
本格的に小説を書き始め「唖聾子」、「くされ縁」、「小町坂」、「海王丸」など次々と発表する。一葉が桃水を訪ねてきたのは、このころだった。
 
一葉記念館には、桃水の代表作『胡砂吹く風』の展示がある。
『胡砂吹く風』は、対馬に流れた薩摩藩士が釜山で朝鮮貴族の娘と恋に落ちる物語だ。
『春香伝』から大きく影響を受けたといわれ、筋書きと登場人物がよく似ている。興味深いのは、朝鮮で実際に起きた事件や名所案内が織り交ぜられているところだ。
 
桃水は『胡砂吹く風』を通して、私たちに何を伝えたかったのか。
 
一葉は『胡砂吹く風』に登場する人物への思いを、「彼らの振る舞いや価値観、喜びと悲しみに心からの共感を覚えた」と日記に寄せている。小説に込められた思いが、ひとりの読者に伝わったと感じられてうれしい。
上下巻になる『胡砂吹く風』の巻頭には、一葉の和歌が載せられた。
 
一葉記念館は3階建て。
入口には年表があり、作品や手紙のほかに当時の街並みを再現した模型も展示され、小規模ながらも楽しめる。展示説明には、文豪の名も多く見つけることができた。
 
一葉にとって初めての小説『闇櫻』の展示もある。
1892(明治25)年、一葉は桃水主宰の文芸雑誌「武蔵野」に小説『闇櫻』を発表した。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を思わせるストーリーに、一葉と桃水のはかない恋をつい重ねてしまう。
その後の「奇跡の十四カ月」と呼ばれる活躍は、よく知られるところだ。
 
一葉の美しい文字にみちびかれ、ひとつの展示ガラスの前に来た。
 
なにごとも語るとなしに玉くしげ
二人いる夜は物も思はず      一葉
 
もっとわかりあえたのではないか、なにか良き手立てがあったのではないか。
二人の恋のもどかしさは、なぜか当時の日本と韓国の関係にも感じてしまう。
 
これらの小説が発表された明治20年代半ばにもなると、新聞の挿絵に出てくる朝鮮の人々は影だけが描かれるのが大半になってきた。そこにはひとりの人間ではなく、悲しい塊があるだけだ。
 
このような社会の流れを、桃水はどのように感じていただろうか。
『胡砂吹く風』では、その地に私たちと何ひとつ変わらない暮らしがあるということ、共に学び、喜びも愛も分かち合える人々がいることを描いている。
小説に込める思いは、『春香伝』を翻訳したときと何ひとつ変わっていない。
 
桃水から『闇櫻』の指導を受けていたときの、一葉の日記を思い出した。
 
かく迄も心合うことのあやしさよと一笑す
(こんなにも心が通じ合うものかと不思議に思われてうれしくなるのでした)
 
かく迄も心合うことだなんて…
これも日本と韓国との関係に感じるのがうれしい。
一葉が残した言葉なのに、桃水のメッセージに思えるのが不思議だ。
 
一葉を通して、桃水の姿や明治という時代が感じられる樋口一葉記念館。
二人の作品を再読してから訪れてみるのも良さそうだ。
 
*半井桃水の作品について
『鶏林情話 春香伝』『胡砂吹く風』など、桃水の作品は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます。春香伝は、新聞掲載のみ。明治時代の言葉づかいなのでかなり難しく感じますが、紙面からは発見も多いです。
国立国会図書館デジタルコレクションは、国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧できるサービスです。発行当時の資料をそのままの形でデジタル化しています。
 
*半井桃水館(長崎県対馬)
半井桃水の生家跡に建てられた記念館。対馬市役所や地方裁判所のある町の中心部にあります。
近くの長寿院には、江戸時代の儒学者で朝鮮との外交にあたった雨森芳洲の墓があり、見どころ満載の対馬。ただし、東京から対馬空港までは4時間以上。ソウルに行くよりも時間がかかります。
そこで記念館のホームページで対馬を散策。記念館の案内や桃水の説明にはハングルが添えられていて、韓国語の勉強にもぴったりです。
 
*樋口一葉記念館(東京都台東区)
企画展やイベントも盛んな記念館。「たけくらべ」「にごりえ」など作品を取り上げた企画や「樋口一葉が見た街並み」といった工夫を凝らした特別展、朗読サロンや文学講座など開催されています。
 



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