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坂口安吾と高麗神社の笛の音 -高麗郡1300年

■2016/10/17 坂口安吾と高麗神社の笛の音 -高麗郡1300年
 池袋からおよそ1時間で高麗川駅につく。ここから高麗神社までは、歩いて20分ほどだ。
駅から5分もすると、住宅がまばらになってくる。うねうねと続く細い道、車が1台やっと通れるくらいの橋、心の奥底に広がる懐かしい景色に思えてきた。
 
武蔵野は、渡来人とのかかわりのある地が多い。
続日本紀には、霊亀2年(716年)に駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野から高麗人1799人を武蔵国に移して高麗郡を置いたとある。高麗神社のある旧高麗郡は、現在の埼玉県日高市とその周辺に位置していた。
 
数年前、私たちの韓国語教室では“秋の遠足”と称して、高麗神社周辺を散策することにした。人が多く集まる時がいいねとシオレマダンという祭りに合わせて日程を組んだのだが、数日前の台風で中止。まぁせっかく計画したのだからと行ってみれば、静かな境内は居心地がよく、境内奥にある高麗家住宅の庭を「ひとりじめ」してお弁当を囲んだことを覚えている。
 
小説家、坂口安吾が高麗神社を訪れていたと知ったのは、つい最近のことだ。
以前から「武蔵野国コマ郡コマ村と、コマ神社」に興味をもっていた安吾は、2、3日滞在していた石神井の壇一雄邸から高麗郡が近いことを知り、知人らと足を運ぶことにした。
 
安吾らが高麗神社を訪れたのは、たそがれどきだった。
遠くから笛と太鼓の音が聞こえてくる。音に導かれるように社殿に近づくと、子どもたちが獅子の舞を練習していた。
この時のことを後に安吾は、『安吾の新日本地理 -武蔵野の巻-』に書き残している。
 
「笛本来の音のせいか、音律のせいか、遠くはるばるとハラワタにしみるような悲しさ切なさである。」
「すぐ耳もとで笛をききながら、タソガレの山中はるかにカナカナをきくような遠さを覚えた。」
 
笛の音のことは、カタカナ書きの譜にしたものを数ページにわたらせ載せている。ヒヤリコ、トヒヤリ、デコデンデン… 日本語との比較がなされ、清濁音、唇音、撥音という単語まで出して分析しているのには驚く。
ハラワタにしみるような悲しい音とは、どのようなものであったのだろう。タソガレの山中はるかに何を思ったのであろう。かくれんぼの声「もういいかアーい」「まアだだよーオ」に似ているという笛の音を、私も聴きたくなった。
 
今年は、高麗郡建郡1300年だという。
高麗神社では記念行事が1年を通して行われており、秋は「例祭」、地域の人々によるお祭り「シオレマダン」、雅楽「高麗楽」などに加え、韓国からは円熟したサムルノリメンバーが集結する。祭事でもっとも重要な「例祭」では建郡1300年を祝い花火が打ち上げられるなど、今年はすべての行事が特別らしい。
 
これを機に高麗神社に行ってみようか。
祭りの日、集まる人々のにぎやかな声は、訪れる人を元気にしてくれるはずだ。でなければ、安吾のようにたそがれ時に訪れ、静かに笛の音を探すのもよいかもしれない。
秋晴れの1日、私はどちらにしようかな。
 
*『安吾の新日本地理 -武蔵野の巻-』は、「坂口安吾全集11」筑摩書房1998(平成10)年12月20日)に収められている。底本は「文藝春秋 第二九巻第一六号」1951(昭和26)年12月1日発行)。
安吾の「なぜ1799人だけが武蔵の国の奥に住むことになったのか」「高麗神社の主祭神である若光。その若光の系譜が故意に切られている意味とは」という踏み込んだ姿勢。史書に残らない人々にも関心を向けているところは、今まで読んだ高麗訪問記とは明らかに違うと感じた。


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